ルシウス・マルフォイの来歴について

ルシウス・マルフォイは、純血の名家出身の魔法使いであり、さらに随一の資産家であることから魔法界において強い影響力を持つ人物である。そのため、第一次及び第二次魔法戦争のみならず、魔法界の動きを見るためには彼の動向が重要になる。そこで、ここでは彼の来歴を振り返る。

誕生

Pottermoreによれば、アブラクサス・マルフォイの息子として1954年頃に生まれたとされている。また小説「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」において、ホグワーツの新学期が始まってから間もなく掲載された日刊予言者新聞のインタビュー記事により41歳という年齢が判明している。これはおそらく、1995年の9月1週から2週の頃だと思われる。

ルシウス・マルフォイ氏(41)は昨夜ウイルトシャー州の館でこう語った。

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Order of the Phoenix

したがって、1953年9月上旬-1954年9月上旬に生まれた可能性がある。すると、ホグワーツ入学は1965年9月 (誕生日が1953年9月ー1954年8月)、または1966年9月 (1954年9月ー9月上旬) のどちらかになる。後者はわずかな期間しかないため、前者の可能性が高いだろう。

ところで、小説「ハリー・ポッターと死の秘宝」において、監督生として新入生のセブルス・スネイプを迎え入れた描写が存在する。

セブルス・スネイプは、リリーから遠ざかるように大広間の反対側に移動し、スリザリン生の歓迎に迎えられた。監督生バッジを胸に光らせたルシウス・マルフォイが、隣に座ったスネイプの背中を軽く叩いた……。

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Deathly Hallows

スネイプのホグワーツ入学は1971年9月である。そうすると、少なくともこの時点で5年生以上である必要がある。もしルシウス・マルフォイが1965年9月に入学したのなら1971年9月時点で7年生であり、1966年9月入学ならば6年生であるため、どちらでも矛盾しない。もし首席に選ばれていたのなら、このとき監督生のバッジの描写しかなかったルシウスは6年生ということになる (少なくともパーシーは監督生と首席のバッジを両方付けている描写はないため)。

まとめると、ルシウス・マルフォイは1954年1-8月生まれの可能性が高いと考えられる。

ホグワーツ時代

先の考察に基づけば、ルシウスは1965年9月にホグワーツに入学し、スリザリンに入寮した。当時のスリザリンの寮監はホラス・スラグホーンである。ドラコはルシウスもスラグホーンのお気に入りだったと発言していることから、スラグ・クラブのメンバーであったと思われる。

1969年9月に監督生として第5学年の学期を迎え、1971年9月にセブルス・スネイプらを7年生として迎えた。首席には選ばれていなかったと思われる。

そして1972年8月末にホグワーツを卒業した可能性が高い。

ホグワーツ卒業後

特に魔法省などには就職せず、資産家として各方面に影響力を与えることを選んだようである。

1980年6月5日に一人息子のドラコ・マルフォイが誕生しており、少なくとも1979年9月頃までにはナルシッサ・ブラック (ナルシッサ・マルフォイ) と結婚していたと考えられる。

またいつごろからか、ホグワーツの理事を務めるようになる。

第一次魔法戦争

いつからどのような伝手を使ったかは不明だが、ヴォルデモートの思想に賛同してデス・イーターに加入した。作中でアーサー・ウィーズリーなどが16歳の子供をデス・イーターに迎え入れることは考えにくいと発言していたが、ドラコ・マルフォイやレギュラス・ブラックは16歳で (特例的ではあるが) 加入したという事実がある。そのため、ルシウスが16歳となる1970年1-8月が加入時期について最も早い推定だろう。

デス・イーター内部では特に高い地位を保持していたようである。1995年のヴォルデモートの復活の際には真先に声をかけられたり、その後の活動において他のデス・イーターの指揮をとったりするなどリーダー格として振る舞っていたことから、少なくとも第一次魔法戦争の後期においてはそのような立場であったと考えられる。

また、ヴォルデモート失脚前にトム・リドルの日記を受け取っている。ヴォルデモートの指示があればそれをホグワーツに持ち込み、秘密の部屋を開く手筈になっていたようである。

「ルシウス・マルフォイがホグワーツに日記を忍び込ませたのは、あいつがそう指示したからでしょう?」 「いかにも。何年も前のことじゃが、あの者が複数の分霊箱を作れるという確信があったときにじゃ。しかしながら、ヴォルデモートの命令を待つ手はずじゃったルシウスは、その命令を受けることはなかった。日記をルシウスに預けてから間もなく、ヴォルデモートが消えたからじゃ。」

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Half-Blood Prince

ヴォルデモート失脚後

ヴォルデモート失脚後は、真っ先にヴォルデモート側から寝返った。

They were some of the first to come back to our side after You-Know-Who disappeared. Said they’d been bewitched.

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Philosopher’s Stone

その際には服従の呪文によって操られていたと釈明し、実際に評議会によって無罪と認められたようである。

Abraxas’s son, Lucius, achieved notoriety as one of Lord Voldemort’s Death Eaters, though he successfully evaded prison after both Lord Voldemort’s attempted coups. On the first occasion, he claimed to have been acting under the Imperius Curse (though many claimed he called in favours from high-placed Ministry officials).

Pottermore – The Malfoy family

ルシウスは、ヴォルデモートが完全に消滅したと考えるようになっており恐怖心が薄れていた。1993年には、預けられていたはずのトム・リドルの日記を勝手に用い、ジニー・ウィーズリーを通してホグワーツの秘密の部屋を開いたが (秘密の部屋事件)、結局それによってハウス・エルフのドビーに逃げられ、ホグワーツの理事を辞することになった。

1994年の夏には、クィディッチ・ワールドカップの会場を訪れ、そこでマグルを攻撃し騒乱を引き起こすものの、クラウチJr. が打ち上げた闇の印を目にして逃走している。

1995年6月には、ヴォルデモート卿が復活した際の召集に応じてリトル・ハングルトン墓地に現れた。そして、再びヴォルデモートの腹心として活動を始めた。

第二次魔法戦争

1995年の夏には、ダンブルドアへの猜疑心が強くなっていたコーネリウス・ファッジに接触し自分達に有利になるように彼を誘導していたようである。しかし、服従の呪文は用いていないとダンブルドアは考えていたようである。

1996年6月には、ヴォルデモートの命を受けて、予言を手に入れるために神秘部に現れた。このとき、他のデス・イーター達の指揮を執っていた。結局この企ては失敗し、ルシウスは拘束されデス・イーターであることが露見しアズカバンに送られた。その際、アーサー・ウィーズリーら魔法省によって館の捜索を受けた。

「ルシウス・マルフォイが逮捕されたとき、我々は館を強制捜査した。危険だと思われる物は、我々がすべて持ち帰った」

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Half-Blood Prince

ルシウスは、ダンブルドア暗殺のための指揮も執るようヴォルデモートから命令されていたのだが、この逮捕によりそれもできなくなった。そればかりか、他の多くの仲間も捕らえられる事態を招いてしまった。このため、小説「ハリー・ポッターと謎のプリンス」では息子のドラコが (懲罰的に) この任務を引き継ぐことになった。

1997年7月前半に、ヴォルデモートがアズカバンを破り囚人を大量脱走させた。これにより、ルシウスも脱走・復帰するものの、これまで失態を重ねていため (予言奪取の失敗、勝手な行動でホークラックスを喪失、多くの同僚の逮捕を招く、逮捕され指揮が執れなくなる等) 、デス・イーター内での地位は低下した。自分の屋敷をヴォルデモートの拠点の一つとして提供させられ、自身の杖も献上することとなった。この頃には、既にヴォルデモートから心が完全に離れていたようである。

ホークラックス奪取の旅に出ていたハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーが館に連行されてきた際には、ベラトリックス・レストレンジと主導権を争いながらヴォルデモートに連絡をとった。しかし、3人組に逃げられことにより、またしてもヴォルデモートの怒りを買うことになり、罰を受けたようである。

どこかハリーの心の一部で、長い望遠鏡を逆に覗いたようにヴォルデモートの姿が遠くに見えた。ハリーたちが去った後、マルフォイの館に残った人々を罰している姿だ。 (…) いちばん暗い片隅に、ルシウス・マルフォイが座っていた。ボロボロになり、例の男の子の最後の逃亡のあとに受けた懲罰の痕がまだ残っている。片方の目が腫れ上がって、閉じられたままだった。

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Deathly Hallow

ヴォルデモートがグリンゴッツ銀行のゴブリンからハッフルパフのカップを奪取されたという報告を受け取る際にもルシウスは居合わせており、ヴォルデモートの怒りを察知して真っ先に脱出し難を逃れた。

ホグワーツの戦いにおいては、ドラコ・マルフォイの捜索を優先し、戦いには加わらなかった。その後、大広間における祝いに参加している所を目撃されている。

通路を歩いていると、マルフォイ家の三人が、果たしてそこにいてもいいのだろうか、という顔で小さくなっているのが見えた。

Rowling, J.K.. Harry Potter and the Deathly Hallows

その後

他のデス・イーターやヴォルデモートの信奉者の情報を提供することによって、再びアズカバン行きを逃れることができたようである。

On the second occasion, he provided evidence against fellow Death Eaters and helped ensure the capture of many of Lord Voldemort’s followers who had fled into hiding.

Pottermore – The Malfoy family

脚本版「ハリー・ポッターと呪いの子」において彼の動向について多少言及された箇所があり、ドラコ・マルフォイとアストリア・グリーングラスの結婚に反対だったようである。

「母様は、祖父様が自分のことをあまり気に入っていなかったと言いました。結婚に反対だったと。母様があまりにもマグル好きで、あまりにも虚弱だと思っていらしたと言いました。しかし父様が母様のためにそれに逆らったとも。」

Rowling, J.K.. Harry Potter and Cursed Child

このことは、Pottermoreにおいても言及されている。アストリアはスコーピウス (ルシウスにとっては孫) の教育についてルシウスやナルシッサとは意見を異にしており、純血主義に基づいたものには反対していたようである。

Astoria Greengrass, who had gone through a similar (though less violent and frightening) conversion from pure-blood ideals to a more tolerant life view, was felt by Narcissa and Lucius to be something of a disappointment as a daughter-in-law. They had had high hopes of a girl whose family featured on the ‘Sacred Twenty-Eight’, but as Astoria refused to raise their grandson Scorpius in the belief that Muggles were scum, family gatherings were often fraught with tension.

Pottermore – Draco Malfoy

「呪いの子」における描写に基づくと、純血主義の考えが強かったはずのドラコ・マルフォイもアストリアの方針に特に反対せず、ドラコースコーピウスの父子間関係も、ルシウスードラコのものに比べれば若干フランクなものになっているように思われる。

他には闇の魔術の収集を継続していたことが明らかになっている。ルシウスは、小説「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の頃からコレクターとしての一面を覗かせていた。このときは、魔法省が保管しているようなありきたりのタイム・ターナーではなく、より強力なものを求めており、セオドール・ノットにその制作を依頼していたようである。

「父は誰も持っていないものを欲しがっていた。 (…) 父が欲しがったのは1時間以上過去に戻る能力だった。」

Rowling, J.K.. Harry Potter and Cursed Child